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2010年 03月 09日
ユウスケのThe Way to Health No.50 脚力
お店を始めた頃の僕は、まだ体力がなかったので忙しいランチタイムが終わると、歩いて10分ほどの所にある祖父母の家に休憩に行っていた。その時に、ランチの残ってしまったおかずを届けるように、時々母は袋に入れて僕に持たせた。ほんの軽い荷物だった。左半身に軽い麻痺のある僕はうまくバランスがとれずよく転んだ。あまりにも見事に転んで、通りすがりのおばさんに「大丈夫?」と声をかけられたりした。袋の中のお皿は割れていた。「転んで割れました~」と背中まで土まみれになってお店に戻ると母は「あれ~」と言って笑っていた。僕は内心怒られると思っていたのでホッとした。そんなことが何度か繰り返された。ある時は顔から倒れて前歯を折ったり、手を擦りむいたり、膝を擦りむいたり・・・今思うと本当によく転んでいた。母は歩き方の特訓だと言って、暇を見つけてはお店の中を何度も往復させて転ばないようにとあれこれ注意してくれた。その甲斐あってか、気がつくと転ばなくなっていた。その頃の僕の好きなおかずは「きんぴらごぼう」だった。それは、久司先生のセミナーで「ゴボウを食べなさい。足が強くなるから」と言われたこともあった。セミナーの実習で習った「きんぴらごぼう」は細くて柔らかい。お醤油だけの味付けなのにゴボウも人参も甘くて美味しい。母も「足が強くなるから」とよく作ってくれた。本当に段々足が強くなっていった。ある日、お店で僕は母とけんかになった。我慢できなくなった僕は隙を見てお店を飛び出した。転ぶなんてことも考えていなかった。とにかく逃げたかった。一目散に自宅へ向かって駆け出した。夢中で2時間近く歩きとおしてしまったのだ。母はそれを聞いて怒るのを忘れていたようだった。自信をつけた訳でもないが、それからも僕はよく脱走した。最初はあきれながらも喜んでいた母だが、回数を重ねるうちにさすがに怒られるようになったのは当然だ。あれから8年たった現在、僕は家から離れて栃木の若者自立支援塾で暮らしている。塾の一大イベントとして30キロウォーキングというのがある。いまだかつて脱落者がいないと言われるそのイベントに挑戦できるまでになった。緊張した。笑っていられたのは最初だけ。辛く、長い道のりだったが、他の塾生たちの励ましのおかげで歩き通した。母に報告すると「おめでとう!」と言ってくれた。脱走が培った脚力かもしれない。
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by milletmacrobi
| 2010-03-09 21:38
| Way to Health
2008年 11月 02日
No.36 1999年 6月 秋田へ
北海道の旅行中、
母は久司先生の講演会が秋田で開かれることを知って、
北海道から申し込みを済ませていた。
それから3週間後、
母と僕、祖父母、そしてアトランを連れて秋田へと向かった。
行きは雨だったこともあって
朝6時半に水戸を出たのに
秋田に着いたのは
3時半にもなっていた。
母にとっては初めての長距離運転だった。
本当に僕たちは、
久司先生に会いたい一心で動いていたのだと思う。
早速、お世話になった母の友達のところに寄った。
すごく元気になったことをとても喜んで、そして褒めてくれた。
「君は本当にすごい子なんだよ」っと、
何回も言ってくれた。
次の日、快晴に恵まれ、講演会会場へと向かった。
100人位の入れる会議室のようなところで、
それでも席に余裕があったほどだった。
今では信じられないほどの贅沢な講演会だ。
僕たちは聞く気満々で先制の真ん前の席を陣取った。
途中の休憩時間に先生は僕たちに気がついて、
「よく来たね~」と言って
僕の顔がぐしゃぐしゃになるほど抱きしめてくれた。
後半、
先生は、マクロビオティックを実践している人の紹介ということで、
僕と母に前に出てくるようにおっしゃった。
突然のことで驚いていると、
今度は先生は、母に
「息子さんのことについて簡単に皆さんにお話してあげて」
っと、ますます驚く展開になっていった。
母は戸惑いながらも、
僕が余命宣告された病気から
マクロビオティックと出会って、
こんなに元気になったことを簡単に説明していた。
聞いている人の中には涙を流している人もいた。
話が終わると拍手まで沸いている。
元気になって本当によかった。
久司先生に出会えて本当によかった。
その後、
望診に選ばれたのが秋田に住んでいる父方の祖母だった。
腎臓が硬くなっていることを指摘されていた。
いい機会だからと、
母が玄米を勧めていたが
食事を変える様子はない。
食事を変えるということは、元気な人ほど難しいのかもしれない。
僕を救ったのは、まさに「病気」なのだ。
母は久司先生の講演会が秋田で開かれることを知って、
北海道から申し込みを済ませていた。
それから3週間後、
母と僕、祖父母、そしてアトランを連れて秋田へと向かった。
行きは雨だったこともあって
朝6時半に水戸を出たのに
秋田に着いたのは
3時半にもなっていた。
母にとっては初めての長距離運転だった。
本当に僕たちは、
久司先生に会いたい一心で動いていたのだと思う。
早速、お世話になった母の友達のところに寄った。
すごく元気になったことをとても喜んで、そして褒めてくれた。
「君は本当にすごい子なんだよ」っと、
何回も言ってくれた。
次の日、快晴に恵まれ、講演会会場へと向かった。
100人位の入れる会議室のようなところで、
それでも席に余裕があったほどだった。
今では信じられないほどの贅沢な講演会だ。
僕たちは聞く気満々で先制の真ん前の席を陣取った。
途中の休憩時間に先生は僕たちに気がついて、
「よく来たね~」と言って
僕の顔がぐしゃぐしゃになるほど抱きしめてくれた。
後半、
先生は、マクロビオティックを実践している人の紹介ということで、
僕と母に前に出てくるようにおっしゃった。
突然のことで驚いていると、
今度は先生は、母に
「息子さんのことについて簡単に皆さんにお話してあげて」
っと、ますます驚く展開になっていった。
母は戸惑いながらも、
僕が余命宣告された病気から
マクロビオティックと出会って、
こんなに元気になったことを簡単に説明していた。
聞いている人の中には涙を流している人もいた。
話が終わると拍手まで沸いている。
元気になって本当によかった。
久司先生に出会えて本当によかった。
その後、
望診に選ばれたのが秋田に住んでいる父方の祖母だった。
腎臓が硬くなっていることを指摘されていた。
いい機会だからと、
母が玄米を勧めていたが
食事を変える様子はない。
食事を変えるということは、元気な人ほど難しいのかもしれない。
僕を救ったのは、まさに「病気」なのだ。
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by milletmacrobi
| 2008-11-02 00:04
| Way to Health
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